2013年
2013年12月 Vol.171
2014年02月16日 2013年 1,838 views
人蛾1941年(昭16)朝7 時、当時貞教尋常小学校2年生だった私は、大きなラジオの「軍艦マーチ」の音で起こされた。
日本放送協会のニュースの時間だった。
「帝國陸海軍は、本日、西太平洋に於いて米英両国と戦闘状態に入れり」と何度か繰り返していた。
2013年11月 Vol.170
2014年02月16日 2013年 1,771 views
先の戦時中、陸軍が寺の一部を「兵舎」に使い、
父が部隊の経理係だったので面会に行き貴重品だった「お菓子」を貰った。
今や紅葉名所「通天橋」も昭30年頃までは「バイク」で通り抜けが出来たし、
もう少し前までは「橋の下」で紅葉を見て「店のすき焼き会」を開いた。
窮屈な今と違いのんびりした時代だった。
2013年10月 Vol.169
2014年02月16日 2013年 1,724 views
「半沢直樹」の倍返しどころか百倍返しのような18号台風だった。
昨今の竜巻などもどこの国の話だった?といぶかしい。風速35mなどもついぞなかったことだった。
十年ほど前迄は、学校の防災訓練なども、なんとなくのどかで一体いつそんなことがあるのか・・
永遠にないだろうと思ってさえいた。
警報が出ると臨時休校、ということでたまのそうした番狂わせも妙に教室を活気づかせていたほどだった。
2013年09月 Vol.168
2014年02月16日 2013年 1,820 views
京都では、学生を「息の長い観光客」などといっていた。
学生を大事にするというより、観光客を大事にすると行ったほうが、正確な表現になるだろう。
その学生だけを相手にした、間貸しや食堂などの商売もけっこう存在していた。
2013年8月 Vol.167
2014年02月16日 2013年 1,858 views
あの厳しい戦争時代にも「殺人事件」はなかったし、
近くの路地に女性の人が住み着いたが、
町内の人が交代で「食べ物」を届けていた。
物資も不足で「自転車」が貴重品だったが夜、
「店」の外に置いていても盗まれず少ない食料も「隣近所」で分け合った。
民衆は正に「とんからりん」だった。
2013年6月 Vol.165
2014年02月16日 2013年 1,784 views
東京の1億円以上の資産家は、約46万1千人、世界の都市で第1位だそうです。
億万長者は増えたでしょうが、貧乏人はモット増えた日本になりました。
日本は真に豊かな国になったのでしょうか?