ton200908ーーどんつきーー

◎八月一五日の雑感。
▽1945年夏・今は自宅から10分の祖先が住んでいた笠取村字炭山(現宇治市)電気・水道も無い寒村(当時)にいた、。
▼学友は平屋村に集団疎開、身体が弱い私は縁故疎開。学校行く前に「鶏・牛」の世話、帰れば草取り柴運びで日々暮らした。
▽ご飯はいっぱい食べられ、好き嫌いも無くなり虚弱児は丈夫な身体に変身できた。そこだけ戦争に感謝しようか。
▼3日遅れ新聞で「特殊爆弾」広島落下を知る。
白衣着用で被害は軽いと書いてあった。新聞もウソを書き書かされた時代。
▽夏休み祖父の病状悪く自宅で「玉音放送」を聴く。敗戦を知りし祖父の泣き声を初めて耳にした。
▼植柳校少年団が必勝祈願で豊国さんにお参り行き帰り歌う♪鎌倉健児♪(P3に歌詞記載有)も叶わず「神風は吹かず」その軍歌今も歌える我は老えり。
▽65年経て、日本の軍隊(自衛隊)が海外派兵とか。憲法が危ない。憲法集会でノーベル賞の益川先生は「僕は戦争が嫌いだ」と叫ばれた。同感だ!。